母の一周忌を前に思うこと⑥
母と私の娘は仲が良く、娘が一浪して県外の予備校に入ってからずっと、その後大学を卒業して地元に戻るまで
ハガキや手紙のやりとりを続けていたようです。
娘は私にはハガキ1枚もよこした事はありませんが…。😂
それは大きな束になるほどの枚数でした。
娘は今も大切にそのハガキの束を持っています。
娘は仕事がとても忙しく、実家にもほとんど帰ってきませんが
祖母(私の母)が入院中は面会時間が終わる5分前でも
会えるならと、仕事の合間を縫って車を飛ばし駆けつけていました。
そのうち母の状態は急変し、意識のなくなりかけた母の枕元で人目もはばからずハラハラと涙を流す娘を見て、
「この子、小さい頃からこんなに泣いた事あったかな?」と思いました。
母は6人の孫たちに、
「楽しい一生だった。ありがとう。死んでもずっと見てるからね。」と、
最期の言葉を残して世を去りました。
…でも、孫のいないところで
私と姉には
「私は死んだらこの世から綺麗さっぱり消えて失くなるからね。
ほんまは永代供養も、戒名も要らない。お墓も
要らないけど、残されたものにとってはそういうわけにはいかないだろうから、
後は生きてる者が気が済むようにお参りでもなんでもやったらいい。
でも、派手にしないでよ。参ってくれてもそこにもどこにも私はいないから。」
と、
秋川雅史さんの「千の風になって」の真逆を行くような台詞を残して逝ってしまいました。
それはたぶん嫁いだ私たちに、実家のことまで気を遣わなくていいよとの母の気持ちなのだろうとは分かっていますが…。
四十九日の法要も、初盆の時も、
姉と「お母さん、ここにはおらんって言うてたよねー。」と、苦笑い。
母のお骨はお寺に永代供養をお願いしました。
実家から近いお寺なので
結局姉も私もなんだかんだと言いながら月に1度はお寺に行ってます。
そして、お寺の母のお骨が納められた永代供養塔に手を合わせるたび
「お母さん、どこにもいないのはわかってるけど、また来たよ。」と、1人でクスクス笑っています。
心配しないで、お母さん。
お墓の前で泣いたりしないから。
明日は母の一周忌です。
参列者は、姉と私だけ。^_^
それでいいんです。